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「できるようになってほしいこと」をそのままやらせるのって…誰のための話?

お友だちと一緒に遊んでほしい

クリスマス会に参加してほしい

お遊戯会でちゃんと演技してほしい…



発達に偏りのある子を育てる多くのお父さん・お母さんが思うこと。その通りだと思います。せっかくお友だちといるのなら一緒に遊んでほしいし、季節の行事や発表会で思い出を作ってほしい。



僕たち支援者もそう思っています。



幼少期の体験はとても大切。明確な記憶として残らなくても、そこで体験したこと、感じたことはきっと将来、生きる力になる。だからこそ、保育園や幼稚園の先生もいろんな行事を用意して子どもたちにいろんな体験をさせてくれる。



だけど…



現実にはそれができない状態の子もいます。



ADHDによる多動性

聴覚過敏による不快感

知的障害による理解への困難…



様々な理由で、「一緒に遊ぶ」や「黙って待つ」「一緒に歌う」ができない子がいる。保護者は「一緒に遊んでほしい」「行事に参加してほしい」と思い、「参加させてあげたい」と思うけれど…



子どもにとってそれは「しんどいことをやらされる」にほかならない。



例えば僕たちが、どう頑張っても踊れないダンス未経験者だとして、突然「紅白のステージに出ろ」と言われたらどうでしょうか?



紅白のステージで踊るなんて、なかなかできない経験だよ!


と説得されて前向きに参加できるでしょうか?



その状態でいきなりリハーサルに参加させられたらどんな気持ちになるでしょうか?



本当に紅白のステージに立たなければならないのだとしたら、せめていきなりリハーサルに参加させるのではなく、丁寧に振りつけを教わる時間がほしいと思いませんか?



「できるなら今年ではなく来年の紅白に…」と思いませんか?



・・・・・・・・・



ステージに立たせるなら、それができるように「練習の機会」と「そのための時間」を確保してあげるのが「やらせる側」の責任。



子どもに対しても同じです。



一緒に遊べない、行事に参加できない子に対して、それらができる子になってほしいと思うなら…やるべきことは無理やり一緒に遊ばせたり、強制的にステージに立たせることではありません。



その子の資質にあわせてトレーニングし、「一緒に遊べる」「ステージに立てる」ようになるまで個別で対応してあげることが大切。



一緒に参加してほしいからと、できない子に無理やり参加させるのはただの大人のエゴ。



「できる」の条件を整えていく…そんな感覚を大事にしたいものですね。





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