(目安:3分)
先日、ちいさな花火大会に行きました。
大きな音とともに散っては消える花火。多くの人がひとつひとつの花火に歓声をあげながら楽しんでいました。
そんな中…楽しいはずの花火大会に、異質な声がまじります。
泣いているのです。こどもが。
それも大きな声でわんわんと。
その子は花火の音がこわいようでした。
そりゃそうです。
まだベビーカーに乗るちいさな子。
もしかしたら人生初の花火だったのかもしれません。
あれほど大きな音は、日常でそうそう耳にするものじゃない。一発ならまだしも断続的につづく花火の音がこわく感じるのも無理はない。
そりゃそうだよな…
と思いながら花火を見ていると、あるタイミングでその子がピタリと泣き止みました。さっきまでの泣き声がウソのようにピタリと泣き止んで、その後は一切泣くことなく最後まで穏やかに過ごしていました。
何があったのか…?
パパが戻ってきて抱っこした。
それだけです。
本当にそれだけ。
たったそれだけのことで、その子はピタっと泣き止んだ。
ここで疑問に思うのは、そばにいたママはなぜ抱っこしなかったのか?ということ。(そのママを責めたいわけではありません。きっとママにはママの事情がある。)
ここからはただの推測ですが…
パパもママもこどもに関心がないわけではありません。ママも泣いているその子に声はかけていたように思います。でも、ママは抱っこはしなかった。
ママの中にはもしかしたら「花火がこわいんだから、終わるまで泣き止むことはない」という考えがあったのかもしれません。
パパが抱っこしたのも深い意味はなく「泣いてるんだから抱っこしよう」というだけだったのかもしれません。
でも…
そこには大きな感覚のちがいがあるように思います。結果としてその子は、こわい花火が続いていても、穏やかに過ごすことができた。
花火がこわくなくなったわけではなく、花火はこわいけど安心できた…ということです。
こわいものを見てるんだから仕方ないとあきらめるのか、花火がこわくても泣き止む可能性はある…と試すのかです。
これはどんなことでも同じです。
学校がしんどい…
その状況に対して「しんどいん状況は変わらない」とあきらめてガマンや不登校を選ぶのと、「しんどさを軽減する方法はないか」と試行錯誤するのとでは全然ちがう。
「発達障害があるからこの子にはムリ」とあきらめるのと、「発達障害があっても社会にフィットする方法はないか」と試行錯誤するのでは1年後の状況は大きく変わる。
この子は花火がこわいんだ…
その理解は同じ。
ちがうのはそこからどうするか…
というパパママ自身の行動だけ。
さらっと抱っこしたそのパパを見て、「こういう試行錯誤が大事だよなぁ」と感じました。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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